【京都 vs 松本】 ウォーミングアップコラム:エスクデロは「表現者としての矜持」を持てるか

2017年4月21日(金)



昨季、松本との対戦後、工藤浩平に京都はどんな印象だったのかと尋ねたら、彼は一言で表現した。「エスクデロのチーム」と―。それは、意味深で、かつ、鮮烈な返答。あの瞬間、京都の攻撃にエスクデロ 競飛王(写真)は欠かせないピースだと認識させられた。

サッカーは、結果が全ての「勝負ごと」。だが同時に、内容が問われる「表現」でもある。エスクデロがもたらしたものは、まず何よりも「勝負へのこだわり」と「攻撃姿勢」だった。それは今季も変わらない。変わったのは相手チームのエスクデロへの意識。「自由にやらせるな!」、相手のマークは昨年以上となる。当然と言えば当然だ。

この状況で結果を出さなければならない。だが、何が求められるのか? それが「表現」的指向である。「勝負へのこだわり」が強いゆえ隠れてしまった「表現」の見直し。つまり、「自分が、どうやって京都を勝たせるのか」と、自身のプレーをしっかりと位置づけすることだ。

表現は「表現者の考え方」を土台とする。エスクデロ自身が、京都の攻撃をどうしたいのかにかかってくる。自分が前線に屹立し、相手をはねのけ味方の飛び出しを促すのか、それとは逆に、自分がチームを支え、味方の侵攻、遊撃送り出す立場となるか。前線からボランチまでこなせる技術は十二分にある。求められるのはその技術を、どんな考えの下で発揮するかだ。それが決まればおのずと位置取りも決まってくる。その考えを90分押し通しても良いし、状況に応じて変えても良い。自分次第の勝手となる。

大事なのは「自分のプレーがチームの攻撃態勢を左右する」という自負と誇り。この矜持こそ、今のエスクデロ自身にも、チームの攻撃にも求められる。

ただ忘れて欲しくないのは「点を取りたいなら、ゴール前に入ること」。得点を求める者の絶対条件だ。

エスクデロの、勝利のために全てを捧げる強い思いはこちらも承知。だが次に求められるのは、「勝負」を制するために自身のプレーをどう「表現」してみせるか。エスクデロ自身の答えを楽しみにしたい。

文:武田賢宗(京都担当)


明治安田生命J2リーグ 第9節
4月22日(土)15:00KO 西京極
京都サンガF.C. vs 松本山雅FC

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